宇宙とアニメが大好きな少年の夢をかなえた「明石」【関西 私の好きな街】

取材・執筆: 吉村 智樹 

 

関西に住み、住んでいる街のことが好きだという方々にその街の魅力を伺うインタビュー企画「関西 私の好きな街」をお届けします。

 

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遠すぎず、近すぎず。ちょうどいい「明石」

「関西に住んでいる人でも、明石は『遠い街』というイメージを持っている人もいますよね。神戸から、さらに西ですから。彼女ができたときも『遠いから』という理由で、なかなか明石には来てもらえなかった(笑)。けれども、実際はとても便利なんですよ。JRの新快速に乗れば三ノ宮駅まで16分、大阪駅まで37分。遠すぎず、近すぎず。『職住分離』にちょうどいい距離なんです」

 

そう語るのは、明石市在住のナレーター・声優、菱田盛之(ひしだ もりゆき)さん(52)。

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菱田さんはテレビ、ラジオ、コマーシャル、ゲームなど、さまざまなメディアを“声”で彩り続けて27年になる大ベテラン。

 

NHK『助けて!きわめびと』や関西テレビ『プライスバラエティ ナンボDEなんぼ』『雨上がり食楽部』、毎日放送ラジオの野球ナイター中継『MBSベースボールパーク』のタイトルコールなど、数々の人気番組でナレーションを担当。魅惑のヴォイスをお茶の間に届け続けてきました。


また、漫画を紹介するライブ&トークイベント「マンガタリLIVE」を主宰。こちらも好評を博しています。

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 明石市民が愛する謎多き「明石城」

今年2019年に市制施行100周年を迎える明石

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タイムリーな明石に住む菱田さんが、先ず案内してくれたのが、明石公園にある「明石城跡」。JR神戸線「明石」駅と山陽電鉄本線「山陽明石」駅の北側すぐの場所に位置する史跡です。 

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濠には噴水がいくつも設置され、清涼感がある光景を描いている

 

「明石城」は今年築城400周年。1619年(元和5年)に、織田信長と徳川家康のふたりを曽祖父にもつ小笠原忠政によって築かれた城です。2006年には日本城郭協会による「日本100名城」にも選定されました。そう、明石は、かつては城下町だったのです。

明石城は「天守閣がない!」のも大きな特徴。ミステリアスな風貌の理由は今なお分かっておらず、謎なままなのだそう。 


菱田盛之さん(以下、菱田)「休みの日はよく、明石城の展望台に登ります。とってもリラックスするんです。風が爽やかで、気持ちがいいんですよ。見晴らしがいいでしょう。明石海峡も見渡せますしね」

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緑に囲まれた明石城。展望台に吹く風が爽やかです。コスモクリーナーで清浄したかのように澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むと、心身ともにリフレッシュできます。

 絶品「明石だこ」。海の恵み豊富な明石海峡

拡がる視界。明石城の展望台からは、明石海峡大橋や水平線が一望できます。

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明石海峡は潮の流れが速い。それゆえ明石は、波にもまれて身が引き締まった魚の幸が水揚げされる港町です。

 

フレッシュな魚介の数々は、商店街「魚の棚」(うおんたな)に並びます。「明石」駅及び「山陽明石」駅から南へすぐの場所。掲げられた大漁旗が鮮やかです。

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明石の特産品で、とりわけ人気が高いのが、通称「明石だこ」。明石海峡や明石沖で獲れるマダコです。

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駅の植え込みにも、花でしつらえられた明石だこが。明石の街は、いたるところ、ユーモラスなたこの造形作品と出会えます。

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名物料理は、これ! 一見「たこ焼き」のようですが、ソースではなく上品なおだしにひたして食べる「玉子焼き」。明石だこのおいしさを堪能できるご当地グルメです。

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生地はあっつあつ&ふわっふわ。たこの身を噛みしめるたびに、うまみがほとばしります。明石では、この「玉子焼き」が市内およそ70軒もの専門店で味わえるのです(ちなみに現地では“明石焼き”とは呼びません。ご注意!)

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 人気が上昇している明石

瀬戸内海の穏やかな気候に恵まれ、自然の恵みにあふれた明石は、このところ人気が急上昇。「SUUMO住みたい街ランキング2019 関西版」でも、2018年度の34位から25位へ躍進しています。

 

また、明石市は近年「こどもを核としたまちづくり」をモットーに掲げ、中学生までの医療費無料化や第二子以降の保育料無料化など、子ども施策を次々と打ち出しています。それにともない、人口も出生率も上昇中。

 明石は宇宙を夢見る少年の憧れの街だった

仕事で明石から大阪へ通う菱田さん。父は近畿郵政局の局員、母は元公務員で習字の先生という謹直な家庭で育ちました。明石に住み始めたのは、中学生になってから。

 

菱田「小学校6年生まで、神戸市の垂水区に住んでいました。両親が『そろそろ賃貸住宅からマイホームへ移ろうか』と話をしていたとき、僕が『引越すなら、明石にしよう!』と提案したんです。理由は、明石には市立の天文科学館があるから。僕は星を眺めるのが好きで、宇宙に強い関心をいだいていました。そんな僕にとって、プラネタリウムがある明石は憧れの街でした

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菱田さんが言うように、明石には、もうひとつ「天文の街」という顔があります。

 

明石は日本で最初に「子午線を示す標識」を建てた場所。日本標準時となる東経135度の子午線が明石の街を縦断します。 


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明石市内を走る山陽電鉄本線「人丸前」駅のプラットホームには東経135度子午線を示す表示がある

 

 宇宙大好き少年を魅了した「明石市立天文科学館」

明石への転居を望んだ菱田少年の、心のよりどころとなったのが「明石市立天文科学館」

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東経135度の子午線上に建つ「明石市立天文科学館」には影などで標準時を実感できるよう、さまざまな日時計があるのです。 

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こんなヒーロー戦隊も

 

菱田「天文科学館は、小学生時代の社会見学で初めて訪れました。そのとき大きなプラネタリウムを真近で見て、めちゃめちゃ興奮してしまったんです。当時、プラネタリウムはとても珍しかったですから」

 

レトロクラシックな魅力をたたえる明石市立天文科学館のプラネタリウムは、ドイツのカール・ツァイス・イエナ社製。昭和35年設置。なんと稼働期間の長さが日本一! 世界でも第5位という永い歴史をいだく超貴重品なのです。

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阪神・淡路大震災でも奇跡的に被害をまぬがれ、現在も荘厳さを感じさせるたたずまいを誇っています。


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中学2年生のころに応募した「科学想像画展」の入賞盾。 受賞作は明石市立天文科学館に展示された

 

 腹ペコ天文中学生たちのお腹を満たした駅そば

念願の明石へ転居し、明石市立二見中学校に入学した菱田さん。憧れの明石市立天文科学館へ、さらに足しげく通うこととなります。

 

菱田「中学校では科学部へ入り、毎月1回は部活で天文科学館へ行っていたんです。プラネタリウムでの上映を鑑賞したり、館内を見学したりした帰りに、部員みんなで、山陽明石駅の脇にあった『山陽そば』を食べる。これがとてもおいしかった」

 

駅そば「山陽そば明石店」は、菱田さんの中学生時代からは場所を移してはいますが、現存します。安くてボリュームがあるおそばをかきこみながら友達と話す宇宙のあれこれ。きっと夢もお腹も膨らんだことでしょう。 


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山陽そばの人気メニューは、明石名物の玉子焼きとたこ飯がセットになった「明石スペシャル」(450円 税込み)

 

天体望遠鏡を自転車に積んで明石の海沿いを走った

菱田さんは中学校を卒業後、そこから徒歩圏内に建つ兵庫県立明石西高等学校に進学しました。6年間、同じ道を通い続けたのです。十代のころに親しんだ明石の道を歩いていると、楽しかった記憶が呼び起こされます。

 

菱田「中学校の文化祭で、自分たちでプラネタリウムをつくることになったんです。傘のような形状をしたポータブルなプラネタリウムを、文化祭の前日にクラスメイトと天井からぶら下げるんです。その作業が深夜にまで及んで、見回りに来た先生から『お前ら、こんなに遅くまで何やってるんだ!』って怒られて、帰らされて。でも、みんなで学校に泊まり込んでいるあの雰囲気が、楽しかったな

 

このように菱田さんの明石での楽しい記憶は、プラネタリウムとセットになることが多い様子。そんなふうに菱田さんは星がまたたく夜空を愛する少年でした。 


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明石の街を歩きながら、中学校や高校時代の想い出が語る菱田さん

 

明石は海に面した街。ゆえに視界が広く、空気がきれい。よどみのない空には満天の星が散りばめられていたのだそう。

 

菱田「家では夜になると、天体望遠鏡で星空を眺めながら宇宙に想いを馳せていました。想い出といえば、あの日の夜かな。中学生時代に、星が月の影に隠れる『星食』になる晩があって、自転車の荷台に天体望遠鏡を積んで、海沿い国道を走りまわったのが面白かったですね

 

夜に自転車の荷台に天体望遠鏡を積載し、ペダルを漕ぎながら絶好のビューポイントを探そうとする少年。そんな光景も、明石ならば誰の目にも奇異には映らなかったのでしょう。発見した眺めがいい場所には、すでに大勢の人々が集まっていたのだとか。 


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「星食」を鑑賞できる場所を求めて、海沿いを走りまわったという十代。空が広い明石は天文少年にとって夢のような場所だった

 

菱田「精度が高くはない天体望遠鏡だったので、星食がちゃんと観えたのかどうかは憶えてはいないんです。けれども、星が欠けたときに学校の先輩や天体好きなぜんぜん知らないおじさんたちと拍手して。あの日の盛り上がりは忘れられないですね。警察官からは『早く帰りなさい』と怒られましたが」

 将来への目標を決めた「宇宙戦艦ヤマト」

月や星を愛した菱田少年は、同時期に壮大なスケールで描かれるSFアニメ作品と出会います。その作品こそが、将来「声」の仕事に就くきっかけとなるのです。

 

菱田「僕の人生を決定づけたアニメは『宇宙戦艦ヤマト』です。宇宙戦艦ヤマトから受けた衝撃は大きかった。ヤマトの影響で、主人公である古代進の声をあてた故・富山敬さんの大ファンになりました。ヤマトは声優に憧れるきっかっけとなった作品です。今、自分が声の仕事をするようになり、改めて富山敬さんの偉大さが分かります」

 

そんなふうにヤマト寄りに愛をこめて話す菱田さん。宇宙戦艦ヤマトへの情熱は50代になったいまなお尽きず、いっこうに完結編に至りません。取材の日に手にしていた名刺のケースもヤマトでした。

 

菱田「ヤマト、今も大好きなんです。全作品を観てるんです。僕らの世代は松本零士さんの作品が全盛の時代を経験しています。宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999……どれも大好きでした。星ばかり見ていた時期と重なって、松本零士アニメにハマりこみました」

 

以来、菱田さんは宇宙戦艦ヤマトとの出会いを機会に、松本零士の他の作品に、さらにアニメーションそのものが大好きな少年となってゆくのです。

 

菱田「ヤマトを経て、『機動戦士ガンダム』『うる星やつら』など、松本零士先生以外にも好きなアニメが続々と放映され、『将来は声優になりたい』と希望するようになりました。僕の十代を言葉で表すならば“星空とアニメ”に尽きますね

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海とともに暮らし、声優を目指した青春時代

明石の街を歩き、生い立ちをうかがううちに、やってきたのは船着き場。

 

菱田「父と淡路島へ釣りに出かけるとき、高速艇に乗るんです。明石海峡大橋が架かる以前は、海路はもっぱら船でした。当時は意識していなかったけれど、こうして改めて明石を歩いてみると、自分は『海とともに育ったんだな』と実感しますね」

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海のそばで暮らしてきた菱田さん。その後は運命を背負いながら、人生という名のさまざまな航路をたどることとなります。

 

菱田「高校を卒業したら、すぐにでも声優になりたかった。しかしながら当時は、『どうやったら声優になれるのか』が、分かりませんでした。現在のように専門学校がいくつもある時代ではなかったのです。上京ですか? 上京も考えたけれども、『まずは言葉の勉強をしよう』と、京都府立大学の文学部へ進みました」

 

明石から京都へ通学。関西の人なら、お分かりかもしれません。それは銀河を離れるほどの距離だと。

 

菱田「明石から京都は、遠かったですね~。朝5時台の電車に乗って、やっと朝9時30分からの授業に間に合うほどの長距離。行って帰ってくるだけ。夢のようなキャンパスライフとは、ほど遠かったです」

 

できることならばワープしたい距離。菱田さんは、入会していた漫画研究会や放送研究会のサークルの先輩たちが住む下宿で寝泊まりをしたり、宿直のバイトを見つけたり。しばらくは明石を離れ、京都で暮らします。

将来の目標「声の仕事」への扉が開いた

そうして大学4年生の時、菱田さんは遂に声の仕事への扉をノックします。アニメ「ハクション大魔王」の魔王や、映画「スター・ウォーズ」のダースベイダーの吹き替えなどで知られる故・大平透さんの声優ゼミナールに体験入学。それは菱田さんにとって、新たなる旅立ちを意味していました。

 

菱田「夏に声優ゼミナールのオープンキャンパスのような催しがありました。大平先生の人脈で、ゲストがとても豪華だったんです。田中真弓さんや、井上和彦さんなど人気声優さんたちの生アテレコを目の当たりにしました。人気声優を目の当たりにし、進むべき道がぱーーと開く感覚をおぼえました」

 

菱田さんは、声優ゼミナールの体験入学を足掛かりに大平透さんに師事。播磨南高校で国語の常勤講師をしながら、大平先生の大阪養成所へ通い、念願だった声の仕事に携わるようになるのです。

 

菱田「声の仕事は、いまはなき宝塚ファミリーランドのウルトラマンショーでウルトラマンの声を録音するなど、恵まれたデビューだったと思います」 


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「デビュー当時はまだ仕事が少なく、しばらくは塾講師との兼業でした」。しかし、夢の架け橋を渡るように、次第に声の仕事だけで食べていけるようになった

 

幼いころに憧れたプラネタリウムに「帰ってきた!」

養成所を出て、声優デビューを果たした1年後の26歳で結婚。菱田さんは神戸の名谷(みょうだに)に新居を構えます。

 

ところが……阪神淡路大震災で被災。実家が近い明石へ再び拠点を移し、以来およそ20年、今日までずっと明石に住み続けているのです。 

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菱田「30代のころ、天文科学館のプラネタリウムで上映する際のナレーションを担当したんです。あのときは『帰ってきた!』と感じました。感無量でしたね」 


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2006年に明石市立天文科学館で催された「明石の達人」というイベントに招かれた。一緒に写っているのは現館長の井上毅さん

 

帰還を果たし、原点といえる場所に声で恩返しができた菱田さん。夢へと向かって飛びたった人々を優しく包みこむ明石は、「ここへ、帰ってくる」街なのでしょう。 

 

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著者:吉村 智樹

吉村智樹

京都在住の放送作家兼フリーライター。街歩きと路上観察をライフワークとし、街で撮ったヘンな看板などを集めた関西版VOW三部作(宝島社)を上梓。新刊は『恐怖電視台』(竹書房)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)。テレビは『LIFE夢のカタチ』(朝日放送)『京都浪漫 美と伝統を訪ねる』(KBS京都/BS11)『おとなの秘密基地』(テレビ愛知)に参加。

Twitter:@tomokiy Facebook:吉村 智樹 

 

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